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更新日 : 2019年10月28日

元サッカー日本代表、酒井友之さん「夢・目標を実現するチカラ」トークイベント開催

酒井友之さんは、2020シドニーオリンピックでサッカー日本代表選手として活躍。9月2日、パソナグループで働く元ボリビアのサッカーリーガー菊池康平さんとのトークイベントを開催しました。

酒井さんは今年40歳。中学2年生の時にJリーグが開幕し、中学生の頃から千葉のクラブチームの下部組織ユースに入り、1997年、高校3年生の17歳でJリーグにデビューしました。デビュー1年目で18試合に出場するなど大活躍し、20歳以下のナショナルチームの世界選手権大会「ワールドユース」では、世界大会決勝戦に勝ち進むなど成績を残しました。

「僕はたまたま選ばれたんです。メンバーはうまい選手ばかりで、僕なんか技術もスピードもあるわけではないし、身長も170センチしかないので、走ることを徹底してやってました。自分の役割は、走ってがむしゃらにやるしかないと思いました」(酒井さん)。

そして、2000年シドニーオリンピックの代表選手に選ばれてスターティングメンバーになります。「この時がピークでした(笑)」と酒井さん。中田英寿選手や中村俊介選手など、誰もが知っている有名な方ばかり。そうした中、酒井さんは相手チームにPK(ペナルティキック)を与えてしまい、かなり責任を感じて帰国したそうです。

 

その後、名古屋に移籍し、浦和レッズ、ヴィッセル神戸と移り、神戸に1年半所属している間、腰の具合が悪く戦力外通告を受けることになります。2008年29歳で突然無職になってしまいます。

「このまま終わるのは絶対に嫌だ」「必ずJリーグに戻ろう」「まだ、早い。仲間たちは活躍している」という強い気持ちで、自分でリハビリをすることを決意します。今まではすべてクラブチームがしてくれていましたが、そういうわけにはいきません。自分でリハビリを手配しマッサージを受け、公園や須磨海岸を走り、温かい沖縄でクラブチームに参加させてもらい、コンディションを戻して、静岡県の1部リーグに入れてもらうことができました。そこで数か月プレーしましたが、国内での契約には至らず、東南アジアで挑戦することにしました。

インドネシアに行って、最初はジャカルタでテストを受けて契約しました。「現役に復帰して、プロとしての環境に戻れたのはありがたかったですね。サッカーを続けたいという思いで何とか乗り越えられたかなと思います」(酒井さん)

自分で表舞台に戻るために努力を重ね、練習すること自体も大変、リハビリも大変という状況をクリアして、なんとかプロに復帰することができたのです。

インドネシアに在籍したのは3年。インドネシアのサッカー熱は日本以上に熱くやりがいがあったそうです。ここでの経験は、「日本代表で経験したことと同じぐらい大きい財産です」と酒井さんは語ります。

「運命なんだと思い、目の前に起きていることを一生懸命やることで先が見えてくる。努力は裏切らない。経験を積んだ分だけ力になる。今、子どもたちにサッカーを指導していますが、子どもたちに伝える引き出しも増え、続けることで自分の力になっていくことを気づいてほしいと思っています」(酒井さん)

「プライドを捨てて僕も行ったから、すごくいい経験でした。この経験、大きいですね」。と自然体で語る姿は、なんのてらいもありません。

どれほどの努力を重ねて今があるのか。失意の中で何を感じ、立ちあがる力を得たのか。

「インドネシアでの3年の経験は自分の人生を豊かにした」と語る酒井さんから、柔軟に考え、しなやかに生きることは、生きる力になるということを教えてもらったような気がしました。

 

 

 

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