「夢」がかなうと、自分自身はもちろん、家族や仲間、社員はもとより身近な人たちが、みんな喜んでくれるものではないでしょうか。
一方、「志」は「夢」のはるか延長線上にあるものです。人の心を動かし、周囲を巻き込むエネルギーとなって、世の中を変え、未来を変え、社会全体を豊かにしてくれるのが「志」なのではないか。
私は常に、企業理念である「社会の問題点を解決する」という初心に立ち返り、「志」を持ち続けなければならないと考え、それを「大志鳳翔(たいしほうしょう)」という言葉で表しています。常に大きな志を持ち続けて、鳳凰のごとく飛び立つという意味です。
パソナグループの43年間の歴史を振り返ってみると、その歩みは挑戦の歴史でした。
今日はその挑戦の歴史についてお話ししたいと思います。
まず、1つ目。
パソナグループは一貫して、新たな雇用インフラの構築に取り組んできました。
パソナグループの歴史は、1976年、家庭の主婦の再就職を支援するため「テンポラリーワークシステム(人材派遣)」を開始したことから始まりました。
当時、派遣スタッフの時間給は、正社員の年収を年間の労働時間で割って設定し、正社員と変わらない福利厚生制度を設けていました。
現在、政府により「同一労働同一賃金」が進められていますが、パソナグループでは創業当初から、その考えのもとで処遇を設定してきました。
また、創業まもないころから、アメリカをはじめ欧州など海外の労働市場を研究し、様々な人が活躍できる新しい働き方やサポートインフラを日本に初めて導入してきました。
1983年には「完全在宅勤務制度」、
1987年には「ワークシェアリングシステム」という働き方を提唱し、
1991年には日本初の企業内保育所の運営も始めました。
1984年には今や社会の雇用インフラになった再就職支援事業の先駆けとなる「アウトプレースメント」も開始しました。
1993年には「失業なき転職」をテーマに「人材交流システム機構」を設立して人材の流動化を提唱、
また、1984年には日系の人材会社として初めて海外に進出し、日系企業の海外進出を支援すると共に、日本人が海外で働くためのインフラを整えてきました。
さらに、アメリカでは一般的だった自ら選択できる福利厚生、カフェテリアプランを日本に導入し、1996年ベネフィット・ワンを設立。
1999年には、派遣スタッフや転職した人向けに持ち回り年金制度、確定拠出年金「日本版401K」も日本で最初に開始しました。
続きは、次回お話しします。